日本のバーの歴史

日本初のバーのオープンは1860年(万延元年)、
横浜市中区山下町に建設された木造2階建の「ヨコハマ・ホテル」というこれも
日本初の洋式ホテルのなかに「プールバー」として誕生しました。

 

このホテルにしてもバーにしても、
当時貿易の中心地であった横浜を訪れる
西欧諸国の新鮮で進んだ文化を運んでくれる役人やビジネスマン、
技術者などを対象にした店として誕生したのです。

 

1860年以降、1911年に日本人を対象にしたバーが誕生するまでは、
横浜において外国人を対象に大きくは2つの流れで発展していきました。
それは、外国人船員を相手にした「街場のバー」と外国人宿泊者を相手にした「ホテルのバー」が発展してきました。
現在でも、横浜のバーには当時のバーを偲ばせるさまざまなものが残っています。

 

1911年(明治44年)、現在の銀座に相次いで日本人を対象にした3つのカフェが開店しました。
東京美術学校で黒田清輝らに学んだ洋画家の松山省三が、
友人の画家である平岡権八郎と共同でヨーロッパのカフェを手本に「カフェプランタン」を3月に開店。
これが日本のバーの先駆けとなったのです。
続いて築地精養軒の経営による「カフェライオン」(8月)と「カフェパウリスタ」(12月)を開店しました。

 

1923年、1911年以降次々と出店されて活況を呈していたバー業界は、
関東大震災によって壊滅的なダメージを受けます。
そのことで失職したバーテンダーたちが関西などへ移ってバーを出店したことが、
その後の大阪でのバーの発展に大きな役割を果たしました。

 

1949年、酒類販売が自由化されます。
これが契機となって全国いたるところでバーが生まれていくことになったのです。
このことから、1949年は「戦後のバー元年」といわれています。

 

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